菓匠白妙の「蔵出し芋」は、八代将軍・徳川吉宗公が白妙の地元・千葉県で広めたさつまいもをイメージしております。
享保17年(1732年)、「享保の大飢饉」により、人々は深刻な食糧難に陥りました。事態を何とかせねばと立ち上がった徳川吉宗公は、さつまいも生産を奨めていた薩摩藩で被害が少なかったことに着目。
吉宗公は江戸町奉行・大岡忠相から推挙された、さつまいもを救荒作物として研究していた学者・青木昆陽を中心に、関東にもさつまいもを広めるべく、幕張等でさつまいもの実地栽培を指示。
これが見事に広まり、天明の飢饉の際には、多くの人々の命を救うこととなったのでした。